仮想通貨イーサリアムの歴史を解説

イーサリアムといえばビットコインに次いで時価総額が高いアルトコインとして有名です。ただ、現在でこそ注目度が高く、有名なアルトコインですが、公開された当初より期待されていたわけではありません。

むしろ、初期の価格などを見ると、イーサリアムの価格が非常に低いことが見て取れます。

果たしてイーサリアムはどのような経緯を経て、現在の地位を確立したのでしょう?

今回はイーサリアムの過去の歴史について紹介します。

イーサリアムの今までの歴史

今でこそアルトコインの中で最も価値があり、今後の将来も期待されているイーサリアムですが、最初から順風満帆な出だしだったわけではありません。イーサリアムの歴史を振り返ると、そこには様々な困難や障害があったことが見て取れます。

2018年6月時点におけるイーサリアムの時価総額は6兆円以上で、これはビットコインの次に高い金額です。

イーサリアムは流動性も非常に高く、世界中の取引所で取り扱われています。それは日本とて同様で、イーサリアムを取り扱っていない取引所などまず無いほどです。どこの取引所であっても、イーサリアムは確実に取り扱っていることでしょう。

仮想通貨の基軸通貨といえばビットコインを連想しがちですが、イーサリアムも基軸通貨として扱われることが多いです。

このように、ビットコインに匹敵するほど価値のあるイーサリアムですが、一体どのような経緯を経て現在の地位を獲得するに至ったのでしょう?

誕生から現在までの価格推移

イーサリアムの開発は2013年頃よりスタートし、2014年にプレセールが行われました。

公開された当初のイーサリアムの価格はわずか20円ほどであり、非常に安価でした。

2015年までイーサリアムの価格は1ドルにも満たない金額で低迷していました。しかし、2016年より1ドルを超え、その年の3月には10ドルを超えるなど、高騰が続きます。

その後、2017年までは10ドルを行ったり来たりする状態が続くのですが、2017年より高騰が始まり、2017年3月に100ドルを超え、それを皮切りに一気に価格が急上昇します。

この時期というと、ちょうど日本で改正資金決済法、いわゆる仮想通貨法が施行された時期です。このような事情もあってか、2017年は仮想通貨元年だとも言われています。

2017年6月には300ドルを超えたイーサリアムは、一旦上昇をストップさせ、レンジ相場へと突入します。上がったり下がったりを繰り返す方向感が見えない展開が続くのですが、2017年10月より一気に暴騰し、価格は1400ドルにまで達しました。

日本円にすると、14万円から15万円まで値上がりしたことになります。

わずか一年で大きく値上がりしたイーサリアムですが、2018年以降は仮想通貨バブルの崩壊に巻き込まれるようにして急落し、2018年6月には6万円代を推移するに至っています。

確かに2018年以降のイーサリアムの価格は低迷していますが、それでも公開された当初の価格と比較すると、現在のイーサリアムの価格は非常に高いと断言できます。

公開された当時、20円程度の価値しか無かったイーサリアムが、現在では3000倍以上の値上がりを見せているわけですから、驚異的な値上がり率です。

イーサリアムに関する過去の出来事

2014年に公開されて以降、イーサリアムに関する様々な出来事が起こりました。

まず2015年11月に、イーサリアムとマイクロソフトが提携しました。これをキッカケにイーサリアムは各界から注目を浴びるようになりました。

この頃より、イーサリアムの価格が1ドルを超え始めるようになります。

その後、2016年3月にはイーサリアムの2段階目に該当するアップデート、「ホームステッド」が完了しました。これをキッカケに、今後はイーサリアムをベースにしたアプリ開発が進むだろうという思惑が投資家に働いたのか、イーサリアムの価格はますます伸びるようになります。

しかし、ここで事件が起こります。2016年6月、DAOの弱点を突いたハッキング攻撃を受け、当時の価格で60億円以上の価値があるイーサリアムが盗まれました。

この事件に対してイーサリアムはハードフォークを行い、ロールバックをすることで事件を解決へと導きました。その結果として、イーサリアムよりイーサリアムクラシックが分裂、新しい仮想通貨が誕生しました。

この事件をキッカケにイーサリアムの値上がり率が落ち、しばらくの間は価格が動かない状況が続きました。

しかし、2017年2月にEEAを発足させたことで価格は好転し、再び伸び始めます。

2017年5月にはトヨタや三菱UFJ銀行など、日本の大企業もEEAに参加することで、イーサリアムに対する注目度が上がり、価格が伸び始めます。

2017年6月にはロシアのプーチン大統領がイーサリアムを承認しました。

2017年以降はイーサリアムにとって好材料が続いた年となります。その甲斐もあってか時価総額が大きく伸び、ついには時価総額ランキングにおいて2位へとランクアップ、現在の地位に就くに至りました。

価格に影響を与えた出来事

イーサリアムの歴史を振り返ると、わずか数年の間に様々な出来事に遭遇したことがよくわかります。

イーサリアムの価格に影響を与えた出来事というと、ハードフォークやアップデート、そしてDAOの流出事件があります。

イーサリアムのハードフォークアップデートの計画

イーサリアムには4つのハードフォークの段階があります。

第一段階がフロンティア、第二段階がホームステッド、第三段階がメトロポリス、そして第四段階がセレニティです。

このうち、第一段階と第二段階は既に完了しました。

三つ目のハードフォークであるメトロポリスに関しては、既に前半のビザンチウムは終了しており、後半のコンスタンティノープルは2018年内に行う予定とのことです。

メトロポリスのハードフォークを経ることで、イーサリアムはPoWからPoSへと移行するための準備を整えることができるとのことです。

イーサリアムはこの4段階のハードフォークを経ることで、以前よりも優秀な仮想通貨へとアップデートしていきます。

そのため、イーサリアムのハードフォークは投資家から好意的に受け止められており、好材料だと判断されています。実際、2016年にホームステッドが完了した際には、イーサリアムの価格が倍以上へと値上がりし、上昇トレンドの形成に一役買いました。

2017年10月にビザンチウムが実装された際には、当時3万円代だったイーサリアムの価格を押し上げ、12月には15万円以上という高値を付けさせることに成功しました。

イーサリアムは過去に何度もハードフォークアップデートを繰り返してきており、その度に価格を倍にしてきたという実績があります。

イーサリアムのハードフォークアップデートはまだ残っています。残りのハードフォークが完了すれば、今まで以上にイーサリアムの価格は上がっていくことでしょう。

ハッキングの価格への影響

イーサリアムが過去に経験した出来事の中には、価格を上げる好材料もあれば、価格を下げる悪材料もあります。

DAOの流出事件などはまさにその典型でしょう。

イーサリアムは2016年にホームステッドを経過することで、投資家から好意的に見られるようになりました。ホームステッド以降、イーサリアムの価格は順調に上がっていたのですが、DAOの流出事件が起こったことで一転、価格の上昇は止まり、低迷するようになりました。

DAOの流出事件は、DAOの脆弱性を突かれるという形で発生しました。あくまで問題があったのはDAOの方であり、イーサリアムについてはセキュリティホールなどは特に無かったということです。

ただ、いくらイーサリアムに非が無いからといって、50億円以上のイーサリアムが盗まれたという事実に違いはなく、イーサリアムに対してネガティブな評価が付くようになりました。

この事件以降、イーサリアムの価格上昇のトレンドは終了し、8ドルから10ドル付近を推移するようになります。だいたい1ETHあたり800円から1000円といったところです。

この当時、ビットコインの価格は順調に上がっていたということを考えると、やはりイーサリアムの価格が上がらなかったのはDAO事件が尾を引いていたからだと判断できます。

イーサリアムに限らず、仮想通貨はネガティブな出来事に対して敏感に反応します。たとえその仮想通貨に非が無かったとしてもそれは同様です。

幸い、イーサリアムはDAO事件の後遺症を後々になって払拭することに成功しました。2017年には、今まで以上の値上がり率を見せたほどです。しかし、今後第二、第三のハッキング事件が起こると、再び価格が暴落する恐れがあります。

イーサリアムはいつ、誰が作ったのか?

イーサリアムが公開されたのは2014年ですが、それ以前よりイーサリアムの開発はスタートしていました。

イーサリアムを開発した人物であるヴィタリック・ブリテン氏は、ロシアのモスクワ州コロナム生まれの男性で、ビットコインを開発したサトシ・ナカモトに触発され、イーサリアムを開発するに至りました。

ヴィタリック・ブリテン氏は、世間では天才だと評されています。それもそのはずで、イーサリアムを開発した当時、彼は19歳の少年だったのです。一体ヴィタリック・ブリテン氏とは何者なのでしょうか?

ヴィタリック・ブリテンとは?

ロシアのモスクワ出身のヴィタリック・ブリテンは、6歳の頃にカナダに移住し、そこで数学や経済学、そしてプログラミングなどを学びました。幼少の頃より計算力が高い人物だったようで、18歳の頃には情報科学の国際オリンピックで銅メダルを獲得したほどです。

その後、大学を退学したヴィタリック・ブリテン氏はティール・フェローシップと呼ばれるプログラムに参加し、ビットコインについて研究するようになりました。

2011年9月、ヴィタリック・ブリテン氏はBitcoin Magazine社の共同設立者となりました。ブリテン氏は2014年にBTCメディアにBitcoin Magazine社を買収されるまで記事を書き続けました。

この頃より、ヴィタリック・ブリテン氏はイーサリアムを考案し始めます。

イーサリアムはビットコインに匹敵するだけの仮想通貨だと世間からは思われがちですが、ただイーサリアムの開発者であるヴィタリック・ブリテン氏はビットコインを開発したサトシ・ナカモトに対してライバル心などは特に抱いていないようで、どちらかというと尊敬に近い感情を持っているようです。

日本にも度々来日しているようで、2018年3月には河野太郎外務大臣と面会するなど、幅広く活動しています。

過去から学ぶイーサリアムのまとめ

イーサリアムは過去にDAO事件に遭うなど、ネガティブな出来事に遭遇し、一時的に価格を落としたこともある仮想通貨です。

しかし、困難に見舞われてもしっかりと解決策を提示し、乗り越えてきた仮想通貨でもあります。

イーサリアムの4段階あるハードフォークのうち、既に半分は終了し、3番目のハードフォークも2018年内には終了するでしょう。

ハードフォークを経過する毎にアップデートしているイーサリアムは、今後ともまだまだ成長する余地のある仮想通貨でもあります。

世の中には1000種類以上仮想通貨が存在しますが、イーサリアムがアルトコインの頂点に立てたのは、それを開発するコミュニティの力があったからこそでしょう。特に開発者のヴィタリック・ブリテン氏の影響力は計り知れないです。

今後、イーサリアムは何度も困難に見舞われるかもしれません。しかし、今まで通り障害を乗り越え、成長していくことでしょう。イーサリアムの過去を見れば、この仮想通貨がいかにタフで、力強い仮想通貨なのかがよくわかります。

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